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広島地方裁判所 昭和45年(つ)1号 決定 1971年2月26日

主文

本件請求を棄却する。

理由

第一、本件被疑事実および請求の趣旨

一、被疑事実

(一)  被疑者加川は大阪府警察本部に所属する巡査部長であつて警察の職務を行う者であるが、昭和四五年五月一二日夜、いわゆる旅客船ぷりんす(以下単にぷりんすという。)乗つ取り事件の犯人である川藤展久(二〇才、以下単に川藤という。)を検挙する目的で被疑者須藤の指示に従い満尾久警部補ら四名とともに広島市広島港に赴き、右川藤の逮捕ならびに川藤の人質となつていたぷりんすの船員の救出をはかる等の職務に従事していたところ、同月一三日午前九時三〇分ごろ、川藤がライフル銃を発砲する等の行為に出たので船員救出を容易にするため第三桟橋に停泊していた右客船の甲板上に立つている右川藤を射殺しようと決意し、同日午前九時五一分所持していたライフル銃を約八〇メートル離れた地点から発砲して同人の左胸部貫通の銃創を負わせ、よつて同日午前一一時一五分死亡するに至らせた。

(二)  被疑者須藤は広島県警察本部長の職にあつて警察の職務を行う者であるが、昭和四五年五月一三日午前九時三〇分ごろ、前記広島港において被疑者加川らを指揮して右船員の救出をはかる等の職務に従事していた際、被疑者加川に対し右の如く川藤射殺の所為に及ぶよう指示してこれを教唆したものである。

二、請求の趣旨

請求人らは、被疑者加川の被疑事実(一)の所為は刑法第一九五条(特別公務員暴行陵虐)第一九六条(同致死)第一九九条(殺人)の罪に該当し、被疑者須藤の被疑事実(二)の所為は右各罪の教唆(刑法第六一条)に該当するとして昭和四五年五月一五日広島地方検察庁検察官に告発したところ、同庁検察官は「本件狙撃行為は刑法第三六条第一項(正当防衛)の要件を充足し、警察官職務執行法第七条に定める適法な職務執行行為というべく、従つて刑法第三五条にいう法令によりなしたる行為と認めるのが相当である。」として不起訴処分にしたが、右処分は別紙請求人の不起訴処分に対する意見と法律的見解の理由により不当であるから、刑事訴訟法第二六二条に則り、事件を裁判所の審判に付することを請求する。

第二、本件請求の適否並びに請求の範囲

一、広島地方検察庁検察官は請求人らが告発した被疑者両名の前記被疑事実につき昭和四五年七月一日不起訴処分に付し、同日請求人らにその旨の通知を発したところ、請求人らは同月五日これを受け、同月八日本件請求書を広島地方検察庁検察官に差し出して本件請求に及んだことが本件請求書、広島地方検察庁検察官検事能登哲也作成の「事件処分等の月日等について」と題する書面によつて認められるので、請求人らの本件請求手続は次項に述べる点を除いて適法ということができる。

二、ところで、前記の如く請求人らは被疑者らの所為は特別公務員暴行陵虐致死並びに殺人罪に当るとして後者についても審判に付することを求めている。さて、刑事訴訟法第二六二条の手続は検察官による起訴独占(同法第二四七条)の例外規定であるから例外規定は厳格に解釈すべきであるという点からも、あるいは法条は被疑者の不利益に拡大解釈することは相当でないという点からも、いわゆる付審判請求手続によつて審判の対象とされ得るものは刑事訴訟法第二六二条第一項が明示するものに限られるものといわざるを得ず、殺人罪はこの手続によつて審判の対象とはされ得ないものということができる。もつとも、請求人が被疑事実として警察官が職務を行うに当り、犯人に対し殺意を以て暴行陵虐を加え殺害したと主張しているとき、それは殺人罪であるからこの手続による審判の対象とはなり得なないものであり、はじめから事件全体がこの手続すなわち、付審判請求手続の範囲であるとは言えない。主張された被疑事実の中に刑事訴訟法二六二条第一項所定の犯罪の構成要件が内在しているときは、右内在部分は審判の対象となり得るものというべく、したがつてまたその範囲では付審判請求手続の対象でもあり得る。本件の場合でいうならば、特別公務員暴行陵虐致死の範囲内で請求は適法であるとして把え、審理の結果実体的にも殺意がなければ特別公務員暴行陵虐致死として審判に付せられることになる。次に、実体的には殺意があつたときもそれは殺人罪であるから審判に付せられないというのではなく、その中から特別公務員暴行陵虐致死を抽出してこれを審判の対象とすべきである。この場合、特別公務員暴行陵虐致死と殺人の観念的競合であると考えるなら、その前者が審判の対象となるものであるし、かりに特別公務員暴行陵虐と殺人の観念的競合と考えるべきものなら後者の中から致死の結果を抽出してやはり特別公務員暴行陵虐致死が審判の対象となると解すべきであるし、更に特別公務員暴行陵虐致死は殺人に吸収され単純に後者一罪が成立するに過ぎないと考うべきものとしても、吸収された前者を抽出して審判の対象とすべきである。けだし、特別公務員に殺意があることにより、却つてこの手続の対象から全的に除外されるということはこの手続が設けられた趣旨に反するからである。

また、付審判請求手続の範囲内にあるのは特別公務員暴行陵虐致死に過ぎないのであるであるから、付審判請求手続で審理される対象もまたその範囲に止まるべきもので、殺意の有無などはじめから問題とすべきでないという意見があるがもしれない。しかし、付審判請求手続は当該事件についての検察官の不起訴処分の当否を審査するものであるから、審理の対象は刑事訴訟法第二四八条に掲げる諸事情も含め当該事件の全体に及ぶものというべきである(審判の対象となし得るものは特別公務員暴行陵虐致死の範囲であるとしても、殺意があることにより起訴相当であつたといえる場合がある。また、被疑者の正当防衛の成否を論ずるについても殺意があればあつたことを前提として論ずべきであり、はじめから殺意は無視しあるいは無いものとして論ずべきであるとはいえない。)。これを要するに、本件の場合、殺意があつたとしては審判に付し得ず、特別公務員暴行陵虐致死の範囲において審判に付すことを得るに過ぎないけれども、本手続の審理の対象は事件全体に及ぶということができる。

第三、審理の経過<略>

第四、本件事案の概要<略>

第五、総括

一、序論

(一)  前章において詳説したところにより、要約すれば次の事実が明らかである。

被疑者須藤は広島県警察本部長として、同県警察本部の事務を統括し同県警察所属の警察職員を指揮監督していたものであり、被疑者加川は大阪府警察本部警務部教養課に所属する巡査部長であつて、船長中向文人ら船員や多数の乗客にライフル銃などをつきつけて脅迫しつつ広島港からぷりんすを乗取つた犯人川藤(当時二〇年)を逮捕するため大阪府警察より広島県警察に応援派遣され、同県公安委員会管理のもとにその職権を行つたものであるが、昭和四五年五月一三日午前八時五三分広島市宇品海岸一丁目所在の広島港第三桟橋に再び接舷したぷりんすの船橋甲板にいる川藤が、依然として船員を人質にしぷりんすを乗つ取つたまま猟銃を発砲し続け、警察官などによる犯行中止の警告にも耳をかさないのみか再び船長に命じて出港を始めたので、このうえは船員および付近の警察官、報道関係者一般市民の生命の安全のためにはライフル銃によつて狙撃して逮捕するほかないと考え、共謀のうえ、同日午前九時五〇分ころ被疑者須藤が被疑者加川に狙撃を命じ、被疑者加川は午前九時五二分ころ所携の特殊銃(ライフル銃)で川藤を狙撃し、その銃弾を川藤のみぞおち付近(剣状突起の先端から左上方へ3.5センチメートルの位置)に命中させ、よつて同日午前一一時二五分ころ同市宇品神田一丁目五番四五号所在の広島県立広島病院において、腹大動脈などの貫通銃創により同人を出血死させた。

なお、その際被疑者らには未必の殺意が存在した。

これを要するに、被疑者らは共謀して川藤を殺害したものであり、その行為は形式的に特別公務員がその職務を行うに当り、犯人に対し暴行陵虐を加えてこれを死に致したという、刑法第一九五条第一九六条の構成要件を充足しているものということができる。

(二)  警察官職務執行法第七条は、警察官は犯人の逮捕もしくは逃走の防止、自己もしくは他人に対する抵抗の抑止のため必要であると認める相当な理由のある場合には武器の使用が許されるとし、なお、人に危害を与えるような武器使用は刑法第三六条(正当防衛)もしくは第三七条(緊急避難)に該当する場合か、警察官職務執行法第七条第一、二号に該当する場合でなくてはならぬとしている。そこで川藤の生命を奪つた被疑者らの特殊銃使用が右法条によつて許される場合に当るかどうかについて考えるに、先ず右所為が正当防衛に該当するかどうかについて判断する(「右法条第一、二号は犯人の身柄の確保を目的として行われるものであり、逮捕して刑事手続にのせ、その刑事上の責任を明確にすることを前提として行うものであるから、生命を害するような発砲行為はこの条項では許容されず、正当防衛としての要件が同時にそなわつてはじめて犯人の死亡を招くような武器の使用が許される。」との説がある。)。

二、正当防衛の成否

(一)  急迫不正の侵害の有無

1、被疑者加川によつて特殊銃が発砲される直前、川藤は拳銃一挺ライフル銃二挺、散弾銃一挺を所持し、船長以下七名の船員を脅してぷりんす内に逮捕監禁し、これを人質としてぷりんすを強取しており、また、上屋内や警備艇内あるいは防潮堤などの物陰に警察官や報道関係者がいることを知つてすくなくとも上屋、警備艇、防潮堤そのものは狙つてライフル銃等を発砲しており、更に、その背後射程距離内に多数の見物人や住民がいることを知つてやたらに発砲していたものであるから、現に逮捕、監禁、強盗の侵害および暴行(未必の故意による殺人行為といつてもよいかもしれぬ)の侵害が存したことは明らかなところである。しかし前記の如く、被疑者須藤らの防衛行為は特殊銃を発砲し川藤を死に致したという重大なものであるから、右手段に対応する重大な侵害、すなわちこれら法益侵害のうえに更に生命身体に対する侵害がさし迫つていたかどうかという観点から検討することとする。

2 船員について

(1) ぷりんすが広島港に入港してから狙撃された当時まで、川藤は一時船底二等船室に下りた以外は船橋甲板上いて、拳銃一挺をバンドに差し込み、ライフル銃二挺散弾銃一挺を手許においていた。右狙撃当時においては、船長はブリッジと船橋甲板を出入りしていたが、ブリッジ内にいた時もその扉は開かれていた。川藤が狙撃された位置とブリッジ内の船長の椅子までは1.5メートルであり、当時船首方面では係留の綱を解くべく桟橋上に江口、甲板上に岩鼻、山下がいたが、(別紙図面(六)参照)、かりに川藤がこれらの者に攻撃を加えようとしたときは、ブリッジを迂回してもその距離は江口11.2メートル、岩鼻10.4メートル、山下11.2メートルに過ぎずその間遮蔽物はない。その余の船員は当時上甲板船尾付近に散在していたもので、川藤との距離は二〇ないし三〇メートル位で、二つの階段を経由することを要し、川藤がその場で直接狙うことはできないが、そのままの行動能力を保持してかけおりれば、銃一挺を手にしていても三〇秒とはかからない。なお、その直前船員らがいた船底二等船室までの川藤からの距離は三つの階段を経て一六ないし一八メートルである。

要するに、船員たちは、川藤が狙撃された当時も至近距離にいたが、出行後船内の何処に位置しても川藤が決意すれば一分とかからないうちに射殺される運命にあつた。

もつとも、被疑者加川が川藤に対し特殊銃を発砲した瞬間においては、川藤は拳銃はバンドに差し込んでいたが猟銃を手にしておらず、したがつて上屋など外部に向つて発砲もしておらず、また船長をはじめ船員に対し相手が何もしないのに発砲して撃ち殺すという態勢ではなかつた。そうすると、船員に対する関係においては急迫不正の侵害はなかつたのであろうか。

侵害の急迫性の何たるかを論ずるまえに、本件船員の特殊事情に着目したい。それは銃を持つた乗つ取り犯の人質だということである。川藤は猟銃等によつて船員を脅迫しこれを人質としてぷりんすを乗つ取り、船員らに命じて今や再び出港しようとしている。出港後川藤が銃によつて船員に危害を加えようとしたときは、船員の方には武器もなくこれに適切に対応できるなんらの方法もない。そして、広島港を出港し再び広島港に帰つて来たこれまでの航行の状況によつて明らかなように、川藤は警備艇や飛行機が近づこうとすると発砲し、それは肉親が同乗していても意に介さない激しいものであつた。すなわち、再びぷりんすが海上に出たときは、警備艇はすくなくとも数百メートルを隔てて航行せざるを得ず、ぷりんす船内で船員に危害を加えるという異状事態が発生しても、この情報をキャッチする時間、ぷりんすまで追い付く時間、接舷して移乗する時間など救援のためには相当の時間を要するのである。移乗しないで特殊銃を発砲するということも、動く船から動く船へのことであるから犯人に的確に命中するとは限らず、場合によると船員に命中することさえないことはない。要するに、異状事態に対し外からの救援は不可能といつてよい。

かようにして、ぷりんすが再び出港すると、すくなくとも航行中はもはや防衛行為はあり得ないというべきである。銃を手にしている川藤に対し船員の防衛が可能であるのは、出港の現時点を措いてはない。

(2) 単なる将来の侵害に対しては正当防衛は許されない。しかしこの場合侵害の急迫性とは「法益の侵害が間近に迫つたこと、すなわち、法益侵害の危険が緊迫したことを意味するのであつて、被害の現在性を意味するのではない。」(最高裁判所昭和二四年(れ)第二九五号同年八月一八日第一小法廷判決参照)。将来の侵害であるか緊迫した侵害であるかは危害発生の蓋然性の程度による。そして、防衛が許されるかどうかが問題になつているのであるから、ここでいう危害発生の蓋然性の中には二つの要素が含まれていると考える。一つは侵害行為発生の蓋然性(侵害行為発生までの防衛、保護は一応ないものと仮定してのそれ)という積極的要素であり、二つは侵害行為発生までにまたはその後結果発生までに、適切な防衛をなしもしくは他に保護が求め得られる蓋然性という消極的要素である。一般には積極的要素があつたとしてもその反面には消極的要素も存在し、後者が強ければ相対的に危険が小であることになるし、後者が弱ければ相対的に危険が大であることになる。将来の侵害に対し正当防衛が許されないとされるのは、大幅に後者の要素が働く余地があるからでもある。したがつて、積極的要素が同じであるなら消極的要素の働く余地の全くない本件のような場合に、危害発生の蓋然性が最も高いことになる(マイナスの要素が働かないため、侵害行為発生の蓋然性がそのまま危害発生の蓋然性となる。)。換言すれば兇悪犯が銃を手にして人を脅しこれを人質として船舶や飛行機を乗つ取つて今まさに出航しようとしており、今を措いては人質の生命に対する防衛が全く不可能な場合には、その後に兇悪犯が人質の生命を奪う行為の蓋然性が相当ある限り、正当防衛の法律論のうえからは、現段階において危険の緊迫性があつたと認め得る場合が多く、それは、後に防衛の可能性が残つている一般の場合と差異があつて当然であるということになる。

(3) さて、船長はじめ船員につき生命に対する侵害行為発生の蓋然性(積極的要素)はどの程度存したか。

(イ) 川藤は広島港出港時、心身共に疲れ、興奮し、おびえていた。

a 川藤は五月一〇日夜Yらと共に福岡市において銃砲店を襲う計画を立て、これに失敗すると窃取した自動車に乗つて倉敷市方面に向かうべく東上を開始した。五月一一日午前一時頃山口県厚狭郡山陽町において警察官の検問に引つ掛つて警察官を刺傷するという事件を犯し、更に自動車を窃取して夜中走行し、一一日は一日中指名手配の張り込みをかわすべく神経を使い、翌五月一二日の明け方から広島市二葉山山中に寝たものの、もとより夜具もないので寒さもこたえたであろうし、警戒や不安もあつたことだから熟睡できなかつたということも大いに考えられる。五月一二日は更に警察官よりの拳銃奪取、住吉銃砲店を襲つての猟銃強取等の犯行を重ね、ついで広島港に出てぷりんすを奪取し、その夜は緊張と警戒のため船内で一睡もしておらず、その間警備艇との応酬、松山港や広島港での警察官などとの応酬に神経をすりへらしたものである。要するに、川藤は五月一〇日夜から一三日の朝にかけて心の安まる暇のない緊張を続けたものであり、一一日夜の山中での眠りの外は、一〇日の夜も一二日の夜も殆んど一睡もしておらず、心身共に疲労していたものということができる。

広島港での川藤に対する警察官の対応策にはいろいろ川藤を興奮させるものがあつた。川藤は五月一三日朝広島港へ向かう途中で、山口県における警察官刺傷事件など共犯Yを広島港に連れて出ることを警察側に要求した。警察側はこれを了承したが、はじめから少年を連れて出る意向はなかつた。ぷりんすが広島港に入港した時少年がいないので川藤は怒つて何度も船長に交渉させた。警察はその都度「今連れて来つつある。」と嘘をついて遂に連れてこなかつた。かような警察側のやり方は、その当否は別とし、川藤をして怒りと興奮の中においやり、益々警察不信の気持を生じさせるに十分なものがあつた。また、それは当然のこととしても、川藤が武器を捨て丸腰で出てこなければこちらも出ないという警察側の態度は、川藤にとつては高踏的態度と見え一層怒りを強めたであろう。

報道関係者が西防潮堤裏まで来て頑として逃げようとしなかつたり、物の陰には多数の人の気配がしたり、遠くにではあるが群衆がたむろして見物しているという情況も、川藤を刺激する一因になつている。「いぶき」船上の父や姉の説得も、従前の川藤の家庭状況、生活歴、そしてこれまでの航海上の応酬からみて、決して川藤の神経を静めるものでなく、益々これを刺激する材料になつている。

b かように広島港での時点において川藤を刺激し興奮させる多くの要素があつたし、そして現実に次のような興奮状態があつた。

「川藤の発砲とそれによる被害状況」の項で詳細に述べたように、川藤は広島港入港後一時間足らずの間に既に一六弾の猟銃を発砲し続けている。しかも人が隠れている防潮堤や上屋、巡視船など現に人がいると考えられる場所に向かつて発砲しているのであつて、人体に命中しても敢て辞さないという気持である。それはまさしく半狂乱ともいうべき状態で、通常人のできることではない。殊に前記の如く、川藤の父や姉が「いぶき」船上で説得を始めると「いぶき」目がけて発砲のうえ命中させ、その弾丸は危うく肉親の生命をさえ奪うところであつた。警察官が最後の説得を始めると、その方に向けて発砲し、これを拒否する態度を示している。

川藤はおびえおののいて、カメラケースの如きものを見て催涙弾ではないかと疑い、市内電車の「発車」の合図を弾丸の「発射」命令ではないかと疑つた。銃を手に、あたりをきよろきよろ警戒し、落ち着きがなかつた。気に入らないと船長や岩鼻らを怒鳴りつけ、あるいは岩鼻に銃口を向け、船長を再三下船させては火がついたような性急さで岩鼻をして呼びにやらした。

事件直後の新聞あるいは週刊誌の一部に、年少船員が川藤を射殺しなくてもよかつたとして、さほど緊張状態は存しなかつた如く語つた趣旨の報道もあるが、他の年長船員の供述からはとてもかような雰囲気であつたとは考えられず、年少船員は川藤と殆んど顔をあわしておらず、責任のない地位にあり、年長者によりかかつておればよいという気安さから、実際の緊張状態を肌で感じることがなかつたものと思われる(当裁判所における証人尋問では年少船員も射殺はやむを得なかつたと言う。)。

(ロ) 川藤は何を意図して出港する気になつたか判然とはしないけれども「警察官と撃ちあいをし、最後には拳銃で自殺する」ということは十分考えられた。

川藤は「親も兄弟もない。一月三日に自分は死んでいる。警察官と撃ちあいをし最後に自殺する。」と度々言つている。それは川藤の単なる強がりでなく、そのような挙に及び船員達を道づれにするということは考えられた。

川藤の経歴のところで述べたように、川藤は幼少時より家出して思春期を親と共に生活しておらず、親とは反目してその間に信頼関係は全くない。したがつて自己の欲求不満を親との間の心情の交流によつて解決するということは望むべくもない。自分が持つ諸々の悩みや不安も何時までも自分一人で背負い心の底に沈潜している。かような家庭環境だから、A子との交際は川藤の心の痛手をいやす強い力があつたと思われるが、しかしその恋人に逃げられたことは更に却つて一層の痛手を与え、川藤は生きる望みを失い、やけくそになつた。「親も兄弟もない。自分は一月三日(A子が逃げた日)に死んでいる。」との言葉は、川藤が父と姉の同乗する巡視船に対し再三にわたり発砲したという事実からもしても真実の気持の吐露と思われる。つまり、川藤は二〇才までの生活歴の中に生きる望みを失つたとといつても不思議でない多くの要素を持つている。

川藤の性格について述べたところから明らかなように、川藤はその性格の中に情緒不安定、神経過敏なところを持ち、わがままで意に満たないところがあると爆発的に怒り、極端な行動を採る傾向がある。少年院で自殺を図つたことがあることも前記のとおりである。五月一〇日夜から始まつた一連の犯罪の手口そのものが、狂暴性やせつぱつまれば何をするか判らないという川藤の性格を十二分に物語つている。五月一〇日以後に犯された一連の犯罪が川藤をして「もう自分の将来はない。駄目だ。」と思わせたであろう。川藤は二葉山山中でもYに対し「警察と撃ち合いをして自殺する。」といつておるし、広島市で沖の運転する自動車に乗つている間にも俺はもう駄目だというひとりごとを言つていた。また、ぷりんす甲板上においては数日間の自己の犯罪を数えあげ「もう駄目だ。」といつたり、山口県の警察官が死んでいないかと言つたり、警備艇「こがね」に乗つていた益原警部補に弾丸が当つたこともラジオニュースで知り「多分死ぬるだろう。」と洩らしている。多量の弾丸を発砲し続けたのだから、そのうちのいくらかが右同様誰かに命中していることは考えられるところであり、もはや自分は助からない、自分の将来に光明はないという自暴自棄の気持であつたと思われる。

これを要するに、川藤は船長に命じて出航したけれども、それによつて自己の身のために事情が好転することがあり得ないことは前日からの瀬戸内海を右往左往した経験から十分知つているところであり、ただ自暴自棄から小児病的に無目的に出港を命じたもので、最後の暴発的行動突入へと心理的と漸次おいつめられつつあつた状態だということができる。

(ハ) 川藤がぷりんす上において近い将来盲目的、暴発的行動に移る契機はあつただろうか。

なるほど、川藤は船員から「反抗しないから撃つてくれるな。」との求めがあつた時これを容れるようすを示したらしいし(岩鼻はそのようにいうが、船長は否定する。)、とにかくこれまで本気で船員を撃とうとはしなかつた。しかしこれはむしろ船長をはじめ船員の努力によるものだといつてよい。殊に中向船長は人間性の豊かな責任感の強い落ち着いた人物であり、怒り狂う川藤の気分を静めながら再三訪れた危機もその力量によつて乗り切つた。その他の船員も船長を信頼し軽挙妄動することをしなかつた。もし船長にその人を得なかつたら、これまでに川藤が船員に発砲する事態は必ずあつたであろう。

さて、今や川藤は心身共に疲労しているのであるから、出港がなんら事態の好転に資するものでないこと、自己が数日間に犯した罪が重大で助からないことを自覚するに至つた途端、直接刺激的事件の介入なく、突発的に自暴自棄となり半狂乱となつて船員を倒し自殺するということも考えられる。また、疲労し神経過敏になつている結果、船長をはじめ船員の些細な行為を誤解し、感情を爆発させるということもある。殊に船員自身も極度に疲労しているので、川藤の意の如く動け得ない事態がおこるであろうし、船員らも神経過敏になつているため、相互に些細なことから感情のそごをきたすこともある。更に、船員らも疲労と前途への不安から何かの刺激を機会に突然勘忍袋の緒を切り、或いは自力で虎口から脱しようとして逆に川藤をやつけようという気になり冒険をおかして害を受けるということもある。

巡視船、警備艇等の動きが引続き川藤を刺激しつづけるだろう。広島港においても事件を解決することができなかつたとすると、警察側はいよいよ焦りを感ずるので、今後は危険な行動を敢て採る可能性もある。川藤も神経過敏になつているため、警察側の些細な動きも新たな攻撃と誤解するかもしれない。

ぷりんすが瀬戸内海に出ても、所詮外国に逃亡できるわけではないから、最後には沿岸の何処かに接舷する外ない。そのようにしたところで川藤にとつて広島港におけると異なり有利な事態が発展するというわけではない。一応無事に航行を続けていても、結局、川藤において局面が壁に突き当つたことを自覚する時機が必然的に到来する。それが何処かの港に接舷しているときであるなら、あるいはその時点において警察側が特殊銃を発砲すればよいともいえよう。しかし港の見える位置に来て、同じように物々しい警戒があるのを見てもはやどうにもならぬと観念し、自暴自棄による暴発的行動に出るかもしれぬ。

以上述べたところを総合すると、川藤はぷりんすが広島港を再出港する時点でいわば半狂乱となつており、船長らの努力でやつと事なきを得ていたに過ぎず、しかも川藤は心理的にも追いつめられ同人が暴発的行動に移る諸条件は益々整いつつある、すなわち、船長船員らの生命に対する侵害行為発生の蓋然性は極めて高かつたということができる。

(4) 船員の場合には今を措いては侵害行為発生の時点までに適切な防衛、保護を求め得る蓋然性が全くないことはさきに述べたとおりである。よつて、消極的要素が働かないため右の高い侵害行為発生の蓋然性がそのまま危害発生の蓋然性ということになる。つまり、船員らに対する生命の危険は出航時余程さし迫つていたといえる。

3 第五桟橋入口にいた警察官等について

(1) 第五桟橋の入口(別紙図面(三)の)に警察官約二〇名、報道関係者約五名の人が南防潮堤を陰にしていたことは前記のとおりである。そして警察官は背広、作業衣のような私服であつたがヘルメットを被つているので、川藤に発見されると警察官であることがおそらく判つたであろう。

ぷりんすが出港を開始し、その直後南防潮堤の西側延長線上に来た時に、右警察官ら約二五名が川藤の目からのがれ得たかどうかを検討する。

前記のとおり、南防潮堤はほぼ東西に走りその長さ約四五メートル、高さ1.255メートル、厚さは上辺で0.37メートル、底辺で0.775メートルの台形(なお、東端にコンクリート塊が付着している。詳しくは図面(九)参照)をなしているものであり、ぷりんすが第三桟橋に接舷している時点では警察官らは防潮堤の南側に隠れることにより川藤より一応遮蔽されることができる。しかしぷりんすが南防潮堤の西側延長線上にきた時は右の如き防潮堤の厚さによつてのみ遮蔽されるに過ぎず、付近に遮蔽物となるものは全くない。五月一三日広島港においては午前九時一〇分が干潮であり、ぷりんすが出港を開始した午前九時五〇分はその僅か四〇分あとに過ぎない関係から、比較的ぷりんす船橋甲板の位置は低いわけであるが、それでもぷりんす船橋甲板路上にいる川藤の肩の高さから地上までは約3.8メートルもあつた(ぷりんすの吃水線からブリッジ屋根までの高さ6.75メートル、船橋甲板中央線からブリッジ屋根までの高さ1.53メートルであるから、吃水線から船橋甲板中央線までの高さは5.22メートルであり、通路はそれより0.12メートル高く、川藤の肩の高さはそれより更に1.5メートル(身長より割り出した。)高いので、吃水線から川藤の肩までの高さは6.84メートルということになる。午前九時五一分現在で広島港では地上と海面の差が3.025メートルあつたのでこれを差引くと、地上から川藤の肩の高さまでは3.82メートルである。)。地上ないしは防潮堤の高さと同一平面上から狙われるのなら遮蔽面積も広いわけであるが、高い位置から狙われる(ぷりんすが南防潮堤の西側延長線上に来た時第五桟橋入口までの距離は約九〇メートルと考えられ、地上への角度は二度弱)ので、遮蔽面積もそれだけ狭くなる。当裁判所の検証の結果によると、警察官らが上手に立廻つても、右防潮堤の厚さによつて完全遮断が保たれるのは、せいぜい数名に過ぎぬと考えられる。その余の警察官らが地表に伏せたところで、二度弱にしろ高い位置から狙われるので露見は避けられない。ぷりんすが更に南下すれば、今度は南防潮堤の北側に隠れることができるが、それまでの間警察官ら約二五名が右の如き危険に晒される。

(2) 露見する以上、川藤がこれを狙撃したであろう可能性も極めて強いといわざるを得ない。

ぷりんすが再出港をしようとする最後の段階では川藤は極度に疲労し興奮しいらだつていたことは前記のとおりである。

川藤は従来から警察を憎んでおり屡々「警察が憎い」といつていたことは姉坂口容子なども供述しているところである。そして五月一〇日以後の一連の犯罪は要するに警察官との戦いの連続ともいうべきものである。五月一二日広島港に現れてから狙撃されるに至る間、川藤は拳銃二発、散弾銃七四発、ライフル銃五〇発を発砲しているが、セスナ機や報道関係者を狙つたと思われる少量の弾丸を除いてはすべて警察側を狙つたものである。警備艇なども近づけば発砲され、命中したものでも「こがね」「あさぐも」「うるめ」「たかなわ」「ふるたか」「いぶき」などがある。五月一二日上屋西北方の広島バス乗務員休憩所に命中した弾丸はおそらく当時上屋西側にいたパトロールカーを狙つたものと考えられ、音戸の瀬戸付近では沿岸を走るパトロールカーを狙い市民に被害を与える旨船長に注意され中止している。五月一三日には上屋北側にいたパトロールカーを狙つて命中させている。すくなくとも警察に対しては何の遠慮もしないという態度を採つてきた。

そして五月一三日入港してからの警察側の態度はいずれにしろ川藤の意に満たないものであるのみならず、極めて高踏的で川藤にとつて腹立たしいものであつたことは前記のとおりである。

かような川藤の状態のうえに、自暴自棄で出港した直後、そこに警察官らしき二十数名を見るのであるから、腹いせからも発砲の蓋然性は極めて高かつたといえる。

(3) 狙撃されたからといつて警察官らに銃弾が必ず命中するとは限らない。しかし、九〇メートルの比較的近距離であるし、川藤の射撃の技能が相当高いことはセスナ機や多数の警備艇などに弾丸を命中させていることからも明らかである(巡視艇「あきぐも」の伊藤船長も川藤の射撃の技能の正確なのに感心している。)。そして、持つている銃は連発銃で短時間に多数の弾丸を発射できるという速射性がある。一人あるいは数名の者を目標とするのではなく、二五名位の集団を狙うのであるから、そこに向つて射つたら、まず誰かに当つたであろうということができる。

そして川藤の武器は銃であるから、川藤が一度射撃態勢に入つたら既におしまいで、その段階で直前に川藤を狙撃するということは事実上極めて困難である。

これを要するに、これら警察官および報道関係者の場合は、ぷりんす出航直後に、極めて高い蓋然性を以て狙撃される運命にあり、しかも狙撃された以上極めて高い蓋然性を以て命中したであろうということができる。船員の場合よりも危険の蓋然性はむしろ高いといつてもよい。

4 その他の人々について

川藤はぷりんす船上で猟銃を発砲し続け、それは警備艇や報道関係者を狙つた以外はほとんど上屋方面を狙つている。そして上屋北方には一般民家がある外見物人約六〇〇人もいた。川藤が上屋を狙つて撃つた弾は流れだまとなつてその方面に飛んで行くおそれもあつた。出航するのであるからいずれはその心配はなくなるが、「撃ち合いをする。」等と言つていたことから考えて、出航直後の腹いせに上屋めがけて乱射するということもないではなく、流れだまとなつて一般市民に命中するという危険もあつた。

したがつて一般市民に対する生命の危険が現在あつたということができる。狙撃された当時川藤は銃を手にしておらず、発砲していなかつたけれど、それは一時の休憩であつて一般市民に対する流れだまの危険は続いていたといつてよい。

報道関係者数名がいた第三桟橋歩道係連橋入口南側部分は、前記の如く、高さ0.74ないし0.8メートル、海に面した部分の長さ8.69メートルのうち7.28メートルは現にぷりんすのいる西に面しており、その余はぷりんすが移動するであろう南西に面しているのであるから、姿勢を低くしている限りぷりんす出航によりさし迫つた危険が生ずるとはいえない。市来射手のいた歩道係連橋と車道係連橋の間の防潮堤も西に面している。前記の如く高さ0.7メートル長さ一メートルに過ぎないけれども、防潮堤の厚さなどを利用すれば一人のことであるし、ぷりんすの出航とともに上手に身を回すことによつて露見を避け得たと思われる。

その他には遮蔽物がなく直接危険であつたと思われる者はいない。

5 急迫不正の侵害の有無について次のように結論することができる。

(1) 一般市民については流れだまによる生命に対する侵害が現在もあつた。もつともそれは遠方にいる者の危険であるから、これを防衛するには川藤のライフル銃発砲能力を奪えばそれでよいという性質のものである。

(2) 船長をはじめとして船員の場合は、出航の時点において、今直ちに生命身体に対し危害が加えられるという情況にあつたとはいえないが、川藤は既に半狂乱ともいうべき状態で、航海中に暴発的に船員の命を奪うという蓋然性は極めて高く一度出航すると右のような危険に対する防衛保護は全く期待できないという事情を加味すると、出港時における危険は一段と高いものであり、将来の危険だといつて片づけることのできないものを持つている。

第五桟橋入口付近の警察官および報道関係者の危険は出航直後のものであり、うち二十名余は川藤の目に晒されて射殺される極めて高い蓋然性があつた。そして川藤が一度決心すれば直ちに狙撃でき、その段階で防衛することは事実上困難であつた。

後の二者を併せて考えれば、生命に対する危険の蓋然性は更に高く、それは正当防衛論における危険の緊迫性に該当するといい得る。しかもそれは、手段の相当性で詳論するように、川藤の抵抗力を完全に抑圧できるような打撃も許される程のものであつた。

(二)  防衛行為の相当性

1 前記のとおり被疑者加川は75.5メートルの距離から川藤の胸腹部の中央部でみぞおちを中心とするあたりを狙つて撃つたものであり、実際には、右弾丸は川藤の心窩部やや左上方の部位に命中して体内に入り、左第七肋骨付着部、横隔膜の心嚢面前縁中央、肝左葉、腹大動脈上端、第一二胸椎体を貫通し背面に抜け、それによつて一時間三三分後に同人を失血死せしめたものである。

右のような防衛行為は川藤による前記の侵害に対し相当であつたかどうか。

2 特殊銃発砲以外の方法で川藤の急迫な侵害を防衛することができたかどうかについて考える。

「いぶき」船上から父と姉とが説得を続けたが、それに対し川藤は発砲を以て答えているものであつて、右説得が川藤を刺激することがあつても犯行中止を決意させるものでないことはこれまでの説明で明らかなところである。同じように警察官の警告に対しても川藤は発砲を以て答えているものであつて、警察官の説得警告によつて犯行を中止させることも不可能であつた。さきに川藤による急迫不正の侵害があるとしたのは、これら説得によつては犯行中止が既に不可能であることを認定したわけでもある。あるいは警察官の警告時間が短かきに過ぎた(約七分)との批判、更に、川藤に対する狙撃前に警察官は「直ちに武器を捨ててて出てこない限り射殺する。」との警告も、射殺するとの警告も、川藤の当時の状況からすればもはや実効を期し得なかつたと思われるうえに、射殺の警告はむしろそれを機に暴発的行動に移る可能性がないでもなかつた。狙撃する前に威嚇射撃をすべきであつたとの論についても右と同様のことがいえる。

船長はじめ船員が協力して川藤を逮捕することを期待するのも事宜に適したものとはいい得ない。川藤が興奮し疑いの眼で周囲を警戒していたことは前記のとおりであつて、拳銃をひとときも体から離さない川藤を逮捕することを民間人に期待することは警察側として採るべき策ではない。同じようにこの段階では警察官を船内に潜入させることも不可能であつた。そもそも川藤の目をのがれながらぷりんすに近づくことができない客観状況にあつたし(警察側は警察官を船員に仕立てることを一時考えたようであるが、)松山港で警察側を逮捕のため種々画策したことを或程度川藤に知られていることでもあるし、かようなことも不可能であつたといつてよい。

ガス銃や放水なども川藤に気付かれないよう設備することも命中させることも困難であるうえに、一瞬のうちに相手の抵抗力を奪うことができないものであるから、これを使用して川藤を刺激し立腹させて船長らの生命の危険を招来するおそれがある。

その外にも、特殊銃使用以外に相当であつたと認むべき方法を発見することができない(川藤が要求するように共犯の少年を広島港につれてきて話合いをさせたなら、犯行中止の手掛りとなつたかもしれぬとの論もあろうが、Yはその頃山口県警に身柄引渡しがあつたもようで、狙撃当時には広島港につれてくることのできない状況にあり、これをしなかつたからといつて防衛手段の相当性に影響はない。事前にしかるべき準備をしておくべきであつたという批判にしても、少年をつれてくることが事態を更に紛糾させたかもしれず、その当否については一概にいえない。)。

3 そこで特殊銃使用について考える。

(1) 狙撃当時船長および他の船員がぷりんす内のどこにいたかということは前記のとおりである。かような位置関係から特殊銃により船員を守るための防衛行為については二つの要件が是非必要となる。一つは川藤を逮捕する時間拳銃の発砲も不可能なように完全に抵抗力を奪うことであり、二つはそれを最初の一打撃を以てしなくてはならぬことである。殊に船長は至近距離にいるのであるから被弾後に拳銃発砲ができるような中途半端な打撃では、これに立腹した川藤が手負い獅子となつて船長を射殺することが当然考えられ、そしてそれを防ぐには必ず一打撃によつて抵抗力を奪うしかない。

第五桟橋入口の警察官を守るための防衛行為は同人らが上屋内などに退避するための時間或程度の距離ある目標に命中させるような発砲能力を奪えばこと足りる。しかし船長が川藤のそばにいるという現実の状況からいうと、それだけに止めておくわけにいかない。撃たれた瞬間自暴自棄になつて拳銃で船長を射殺するおそれがあるからである。すなわち、船長がそばにいるという現実の状況からいうと、警察官らを守るためにも、また、一打撃により拳銃の発砲も不可能なように完全に抵抗力を奪う必要があつたということになる。

(2) 被疑者加川が発砲した銃弾はすくなくとも結果的には逮捕するに必要な間、逮捕するに必要な程度において抵抗力抑圧の目的を達したわけであるが、同時に川藤を死に致したという結果も招来した。前記のように抵抗抑圧という目的を達したうえでなお死を避け得る方法があつたろうか。

(イ) 二人の射手が同時に発砲し川藤の両肩ないしは両肘に同時に弾丸を命中させれば、勿論抵抗力は完全に抑圧でき、しかも一命はとりとめそうに考えられる。

二人の射手が一つの体の二つの点に同時発砲して命中させ得るかに関連して満尾班長は当裁判所の証人尋問の際「引き金はごく自然に落ちた場合が一番よく命中する。意識的に急激に引き金を引く(がく引)と、銃が揺れる、よけいな方向に力が加わつて照準していた場所からはずれたとき落ちる可能性が大きい。本件の場合加川射手は命令から発砲まで五秒から六秒かかつた。その時間には個人差があるし、特定の人も時によつて違う。」という趣旨を証言し、本件の如く75.5メートルの距離からでは一つの点に同時に命中させることは不可能という。

当裁判所も右証言は首肯できるものと考える。がく引では命中しないと思われるし、二人の射手が一瞬の差もないよう呼吸をあわせることも事実上困難であろう。相手が人間であるということは射手の精神的動揺を誘い、呼吸は益々一致しなくなる。そして発砲に一瞬の差があつても、最初の一発で体形が崩れ後の一発は狙つた個所に命中しない。標的が動く人間のしかもその小さな一部であるということに命中の困難性があるうえに、そもそも既に述べているように射撃の名手であつてもいわゆる弾丸の自然散布は避けられない。つまり、二人の人間が呼吸をあわせる必要の全くない極めて大きな目標あるいは至近距離からの発砲の場合はともかく、本件の如く75.5メートルの距離から動く人間の両肩、両肘を二人の射手により同時に狙撃することは不可能であるといつてよい。

それならば川藤に更に接近した位置に二人の射手を配置して同時発砲が可能な態勢をとるべきではなかつたか。発砲時それが可能であつたのに、敢てこれをしなかつたのであるなら、被疑者らの遠距離からの発砲は防衛行為としての相当性に疑いがあるということになる。しかし、前記のとおり特殊要員は午前八時四五分頃広島港に到着し、ぷりんすは第四桟橋に接舷するとの予想のもとに配置の準備をしていたところ、ぷりんすは突然第三桟橋に接舷する態勢をとつたため、第一、第三射手は急遽上屋に入り、第二射手は西防潮堤陰に隠れ、第一、第二、第三射手を前記の如く配置せざるを得なくなり、その後は川藤の発砲によつて安全でしかも気付かれない至近距離に配置転換することは不可能であつたものである。したがつて右の点に防衛行為の相当性がなかつたとはいえない。もつとも、船長がぷりんすを第四桟橋に接舷させるという通知を警察側ないしは会社に発した形跡はないのであるし、川藤が最後的にどの桟橋に接舷を命ずるか未知のことであるから、警察側としては川藤の抵抗力を抑圧し且つ一命をとりとめるためにも、ぷりんすがいずれの桟橋につくかという検討やその際如何なる位置に如何なる態勢を以て射手を配置すべきかの検討を入念にしておくべきであつたといえるかもしれない。しかしその段階での警察の不手際が防衛行為の相当性という法律論に影響することはない。そして、かりに第三桟橋に接舷することを予想し得たとしても、広島港の現況からすると約四〇メートルの距離にある西防潮堤裏に射手を配置するしかないが、同所は地上3.8メートルの位置にいる川藤から逆に発見される可能性も、多分にあり、距離も至近距離とまではいえず、二人の射手が同時発砲する条件は整つていないということができる。

あるいは予め第三桟橋あたりに完全遮蔽ができ川藤に気づかれないもので、しかも特殊銃が発砲できる特殊装置を作つておけばよかつたとの論があるかもしれないが、前記のようにどの桟橋に接舷するかの最終的な決定権は川藤が握つていたのであるから、予め第三桟橋ににかかる装置を作つておけというのはおよそ無理な要求であり、全部の桟橋にかかる装置を作つたとしたら、その位置関係からして川藤に気づかれないようにするのは極めて困難(不可能と言つてもよいかも知れない。)である。そして川藤に気づかれた後それは事態を悪化させるだけであろう。いずれにしろそれは防衛手段の相当性の法律論とは関係がない。

(ロ) 川藤は腹大動脈貫通など前記のような重傷を負つて倒れながら、市来射手が昇降口から船橋甲板に上つて行くと「やりあがつたな。」といつて体を幾分上向きにし、右手でベルトの拳銃を引き抜き、引金に指をかけながら市来射手の方に向けかけ、市来射手が飛びかかり拳銃をもぎとろうとしたが、川藤は左手が市来射手の指をつかみ逆に指をそらせたりして拳銃をとられまいと抵抗し、そこへ山本巡査部長、加川射手がかけつけ、加川射手が川藤の拳銃を持つ手の甲を二、三度殴つて漸く拳銃をとりあげたのである。すなわち、、これだけの重傷を負いながらなおこれだけの抵抗能力を持つていた。

さて鑑定人小林宏志(広島大学医学部教授)は口頭鑑定の結果、前記のように貫通力をよくした本件弾丸を使用しライフル銃を発砲したとき人体に与える影響について次のように言う(なお、三〇分以内に治療行為があることを前提とする。)。

a 致命傷になるかどうかについて

顔面などを含め頭部に命中貫通させたときは即死あるいは急死ということが考えられ助からない。

四肢を貫通したときは直後に治療行為があることを前提とすれば死の結果を来さないことが多い。

次に胸腹部に移る。心臓を貫通した場合は死を免かれない。大動脈(弓部、胸部、腹部を含め)を貫通した場合も治療不可能で致命傷といえる。大静脈を貫通した場合も同じである。肺臓は左右二個あるし貫通しても直後に治療行為あれば救命し得る場合もある。肝臓、膵臓、脾蔵を貫通すればほぼ致命的といつてよい。腎臓は二個あるので、一方だけの貫通なら救命可能の場合もある。胃腸を貫通しても直後の治療行為があれば救命し得る場合もある。膀胱を貫通しても直後の治療行為があれば致命傷とはなり難い。

b 抵抗力の程度について

頭部を貫通し、殊に脳幹部延髄部などを損傷すれば、即刻意識がなくなり無抵抗となる。心臓を貫通すると、人によつて差はあるが概して一、二分以内なら走るとかかなりの距離を動くとか銃を発砲する能力がある。心臓タンポンの発生により心臓の動きがとまり、あるいは脳の貧血をきたして脳の機能が絶えるまでは右のような行動能力がある。胸腹部大動脈を貫通したとき影響力は幾分劣るがほぼ心臓と同じことがいえる。肺臓貫通の場合は銃を発砲する能力を暫時奪うということは期待できない。

生命を奪うことを避けて銃発砲の能力を奪うことは両肩両肘などを共に損傷する以外に方法がない。もつとも受傷の痛みで本人があきらめるということがあれば話は別である。

みぞおちとは胸骨の最下端のところでちようど前正中線にあたるので、みぞおちを狙つて命中すれば本件のような個所に損傷が生じる。

腹大動脈の外肝臓損傷や左第七肋骨部および第一二胸椎体などの損傷などを伴つている本件の場合でも、本人に気力があれば、命中させるということを度外視するなら短時間銃を発砲する能力はあり得た。

以上のとおりである。

実際の状況からいつても川藤は或程度の抵抗を示したし、右鑑定の結果によれば、更に一層の抵抗を示す可能性があつたということになる。1.5メートル位離れた船長に拳銃を発砲することもできたであろうし、逮捕に来た警察官に発砲することもできたであろう。そういう結果にならなかつたのはおそらく足場の不安定さにあつたのではないかと考える。前記のとおり、船橋甲板には幅僅か五五センチメートルで船橋甲板より一二センチメートル高いところを走る通路があり、船橋甲板は右の如く通路より一段低いうえに両舷に向つて一〇度の下り勾配をなし、しかも鉄板に塗料の塗られたすべり易いものであつた。川藤は通路の上に尻もちをつき、そのあとで勾配のある鉄板上に転落しているのであるから、すべり易い鉄板に足をとられて立上ることも、あるいは這つてブリッジ扉まで行く(上り勾配になる)ことも不可能であつたのだろう。もし平らなところでしかも普通の地面のように表面が滑らかでないところなら拳銃発砲は可能であつたろう。警察官が被害を受けることなく逮捕できたのは、かような状況に助けられるという僥倖もあつたといえるだろう。

すなわち、両肩両肘を同時に狙撃するということが不可能である以上、特殊銃弾丸が命中したとき行動能力に与える影響を考えると、船長らが至近距離にいるという現況から川藤の胸腹部を狙うにしてもその側端部では十分でなく、被疑者加川が胸腹部の中央みぞおちを中心とするあたりを狙つたのはやむを得ない措置であつたといえる。

もつともこの点につき一、二の批判も考えられるので検討しよう。弾丸命中の直後に人体に与える苦痛、衝撃、機能喪失の点では大動脈を貫通していたかあるいは僅かはずれて肺臓貫通に止まつていたかで余りは差異はないかもしれず、そうであるなら、あの場合、警察側は川藤の足場が不安定であること、そのときには直後の行動能力が減殺されることも計算に入れて肺臓を狙うに止めるべきであつたとの論があるかもしれない。しかし、実際には足場の悪さがさほど影響しない倒れ方ををする場合もあり得るし、船長その他の船員、逮捕に赴く警察官のため、できるだけ安全な方法を採るという要請も一面にはあるのであつて、被疑者らが足場を考えて肺臓貫通に止めなかつたことをあながち責めるわけにゆかない。

更に、受傷直後治療ができるよう上屋などに仮設の治療施設を設けたうえで発砲をなすべきであつたとの論も考えられよう(打撃を小さくする方法を講じたうえで大なる打撃を与えることは、初めから小なる打撃を与えるのと同じである)。しかし結果論としてであるが川藤の抵抗力抑圧のためには大動脈貫通もやむを得なかつたのであり(その場合治療しても救命不能。)、発砲の時点ぷりんすが出港するという新たな危険が発生してかようないとまがなかつたのであるから、右の点も防衛行為の相当性を左右するものではない。

しかし、この点についての批判には聴くべきものが大いにあると考える。警察側は万一の場合を慮つて特殊銃隊員の派遣要請をしたわけであるが、特殊銃を使用した場合には川藤に重傷を負わせる結果になることは当然予想されるのであるから、これを要請した段階からすでに救急医療措置について配慮すべきであり、遅くとも警察側が特殊銃使用を本気で考えるに至つた段階、具体的にいえば現地本部の池田刑事部長が県警本部にいる被疑者須藤にその旨を具申するに至つた一三日午前九時頃からは医師の手配や仮設治療施設の設置が開始されるべきであつた。しかるに極めて遺憾なことに午前九時三〇分を過ぎてはじめて救急車の手配が開始されている。この事実からすると警察側が川藤の生命保持についてどの程度意を払つたのか疑念を抱かざるを得ない。狙撃後直ちに治療を施したなら川藤の生命を保持し得たという場合であるなら過失致死の成立が問題になつたことであろう。

4 以上の次第で船長はじめ船員に対する生命の危険、警察官および報道関係者に対する生命の危険をそれぞれ防衛するために採つた被疑者らの防衛手段はやむを得なかつたということができる。被疑者らに殺意があつたといわざるを得ないけれども、それがあることによつて相当性が崩れるものではなく、むしろこの場合打撃が一段小となる体の部分を狙つていたら、船長や警察官が反撃をうけていたということができる。そしてその外にも一般市民の生命に対する危険も現存していたのであるから、その相当性は一層強いといえる。要するに本件防衛行為はやむを得ないものであつた。

なお警察側が狙撃に使用した銃弾がダムダム弾でないことは前章で認定したとおりである。川藤の背部には長径3.0センチメートルの射出口があるが前記小林宏志の鑑定によれば第七肋骨胸骨付着部、第一二胸椎体等を損傷している本件にあつては骨片などが銃弾と共に射出され、射出口が射入口に比して大きくなることは当然あり得るとのことである(事実川藤の死体解剖を行つた医師香川国吉作成の鑑定書によれば射出口の創底に破砕骨片があつたことが認められる。)。

(しかし最後に一言いうならば、本件においては未必の殺意をもつてみぞおちを中心とするあたりを狙い死に致したということもやむを得ないのであるが、殺さないで逮捕できるかどうか警察側はもつと真剣に検討すべきであつたろう。広島県警と特殊銃要員の間に狙う個所について念入りな討議がなされたともいえず、特殊銃が命中したとき人体に与える影響(その瞬間における衝撃、苦痛が行動能力に及ぼす影響、致命傷となるかならないかなど)について深い検討がなされたともいえない。また、特殊銃要員に平素かような法医学知識についての教育を施しているもようもない。受傷直後の治療についての配慮が足らなかつたことも前記のとおりである。兇悪犯といえどもその生命は尊厳である。最少の被害で最大の効果を挙げるためには、右のような法医学的知識も身につけたうえで、射撃の条件を決めるように努めるべきであろうし、事後の処置についても万般の配慮をすべきであろう。将来、安易に特殊銃を使用すべきでないことは当然のことで、特殊銃があるからといつて、最悪事態を招かないための努力がおろそかにされてはなるまい。)

(三)  被疑者両名らが本件狙撃行為におよぶについては船員、警察官、報道関係者、一般市民らを防衛する意思であつたことは前章において叙述したところから明らかである。そして川藤による船員に対する逮捕監禁などの侵害が現在するうえに前記の人々の生命身体に対する不正の侵害が緊迫していたものであり、これに対する被疑者らの狙撃行為としてやむを得ないものであつたことはこれまで本章において縷々説示したとおりである。よつて、被疑者両名が共謀のうえ、未必の殺意を以つて特殊銃を発砲し、川藤の胸部に命中させて死に致したという外形上殺人に当る行為は刑法第三六条の正当防衛に該当するといい得る。そうすると、本件請求の範囲であり、右殺人に当る行為に内在する特別公務員たる被疑者両名が共謀のうえ、その死に致したという外形上特別公務員暴行陵虐致死に当る行為もまた正当防衛に該当するということができる。

三結論

以上の次第で、被疑者両名の右外形上特別公務員暴行陵虐致死に当る所為は犯人川藤の逮捕のためであるし、船員、警察官、報道関係者、一般市民の防護のためであるし、しかも正当防衛に該当するのであるから、警察官職務執行法第七条により武器を使用して犯人に危害を与えることが許される場合であるといえる。したがつて、それは刑法第三五条の法令によつてなしたる行為に該当し違法性が阻却せられることになるというべく、結局、刑法第一九六条第一九五条第一項の特別公務員暴行陵虐致死罪は成立しない。

そこで、本件請求にかかる被疑事実のうち特別公務員暴行陵虐致死の範囲については罪とならないものというべく、これと同旨により被疑者両名を不起訴とした検察官の処分は相当であり、右の点についての本件請求は理由がないということができる。なお、右被疑事実中その余の部分は請求が不適法であること第一章で述べたとおりである。

よつて刑事訴訟法第二六六条第一号により本件請求を棄却することとし、主文のとおり決定する。(竹村寿 青山高一 高篠包)

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